tomitaku.net

阿部式電気時計

2026-09-11 add 882字

山形市の時計商・発明家、阿部彦吉(1864〜1931)が考案・製造した電気時計。親時計に内蔵された発電機構が1分ごとに電気信号を送り、複数の子時計の分針を一斉に1分進めて、親時計とすべての子時計の時刻をそろえる、いわゆる親子時計の仕組みを持つ機械式時計である。学校や官公庁、ビルなどに設置されたものが、現在も各地に残っている。

仕組み

動力源は、巻き上げた重り(分銅)が重力で下がる力で、それを回転の力に変えて時計を動かす。振り子とアンクル(脱進機)が正確なリズムを保ち、内蔵の発電機構が1分ごとに電気信号を生む。この信号で子時計を駆動するため、離れた場所にある多数の時計を親時計と同じ時刻に合わせ続けることができる。

阿部彦吉

1864年10月2日、山形市六日町の生まれ。18歳で上京して京橋の小林時計店で技術を身につけ、20歳で帰郷して山形市七日町に時計店を開いた。その後、電気時計の研究に打ち込み、単独で動く電気時計から、発電機を備えて電池を必要としない電気時計へ、さらに電池を使う連絡時計へと改良を重ねた。国内外で12件の特許を得ている。1931年10月9日に死去した。

現存する時計

親時計は横浜地方気象台、大阪農林会館、大江ビルヂング、銅駝会館などに、子時計は丸の内ブリックスクエアや茨城県三の丸庁舎などに残っている。銅駝会館の親時計は、前身の銅駝尋常小学校に1926年春、子時計1台とともに寄贈されたもので、翌年にはさらに子時計10台が寄贈された。

山形県郷土館「文翔館」の時計塔の時計装置も阿部彦吉が開発したものである。時計塔は1916年6月に完成し※1、現在稼働している時計塔としては札幌の時計台に次いで国内で2番目に古い。彦吉の孫にあたる時計職人が保守を担い、5日に1度、動力となる分銅を手で巻き上げている。

要確認

  • 特許を取得した年(大正7年=1918年とする資料と、1915年に自動発電無電池式親子時計の特許を取得したとする資料がある)
  • 文翔館の時計塔の時計が、親時計と子時計を組み合わせた阿部式電気時計そのものかどうか
  • 名称の読み方

参照

言及
なし
類似