ヤニス・クセナキス
ギリシャ2系の作曲家・建築家(1922〜2001)。確率論、集合論、ゲーム理論といった数学の手法を作曲に持ち込み、確率論的な手法による音楽(ストカスティック・ミュージック)を切り開いた。パリでル・コルビュジエの下で建築に携わり、その経験は作曲の方法にも深く影響している。
経歴
1922年5月29日、ギリシャ人の両親のもと、ルーマニアのブライラに生まれた。第二次世界大戦中はギリシャで反ナチス・ドイツのレジスタンス運動に加わり、戦後も独裁に抵抗した。この間に顔に重傷を負い、左目を失っている。1947年、捕縛の危機が迫ったため偽造書類でギリシャを脱出し、パリに定住した。ギリシャでは欠席裁判で死刑を宣告され、1951年に禁固10年に減刑されたのち、1974年の独裁政権崩壊によって赦免された。2001年2月4日、パリで死去。
建築家として
1948年からル・コルビュジエの下で働き、ラ・トゥーレット修道院の設計を手伝ったほか、1958年のブリュッセル万国博覧会ではフィリップス館の建設に携わった。
作曲
1953〜54年に作曲した管弦楽曲『メタスタシス』で、ドナウエッシンゲン音楽祭で鮮烈なデビューを飾った。この曲ではオーケストラの奏者一人ひとりに独立したパートが与えられている。続く『ピトプラクタ』では、気体分子の統計力学を作曲の道具として用いた。理論書『Formalized Music』(1963年、英語版1971年)は、数学と作曲の関係を論じた彼の最も影響力のある著作となった。
また、ペンとタブレットで描いた線を音に変換する作曲システム「UPIC」を開発し、照明演出をともなう電子音楽『ポリトープ』(クリュニー、モントリオール2などの版がある)も制作した。
日本との関係と評価
1970年の大阪万博のために、日本語の題を持つ多チャンネルの電子音楽『ヒビキ・ハナ・マ(響き・花・間)』(1969年)を制作した。作曲家の高橋悠治とは多くの作品で協力している。1997年に京都賞(思想・芸術部門)を受賞して来日し、1999年にはポーラー音楽賞を受賞した。
要確認
- 負傷した時期と原因(英語版Wikipediaはギリシャ内戦中に戦車の砲撃の破片を受けたとし、日本語版Wikipediaは第二次世界大戦中のレジスタンス活動で銃弾を受けたとする)
- UPIC の完成年(日本語版Wikipediaは1977年、英語版Wikipediaは1979年までとする)
- 『Formalized Music』の原著(フランス5語)の題名と、日本語訳の正式な書名