ナム・ジュン・パイク
韓国出身のアーティスト(1932〜2006)。テレビ受像機やビデオを美術の素材として初めて本格的に用いた人物で、ビデオアートの創始者とされる。音楽を学んだのち前衛芸術運動フルクサス2に加わり、1963年にテレビを使った世界初のビデオアート展を開いた。日本で学び、ドイツとアメリカ21を拠点に活動した。
経歴
1932年7月20日、日本統治下の京城(現ソウル)生まれ。1950年、朝鮮戦争の戦禍を逃れて一家で香港に移り、のちに日本へ移住した。1956年に東京大学文学部美学・美術史学科を卒業し、卒業論文はアルノルト・シェーンベルク2についての研究だった。同年ドイツに渡り、ミュンヘン大学で音楽史を、フライブルク高等音楽院で作曲を学んだ。
ケルンを拠点としていた時期にジョン・ケージと知り合い、大きな影響を受けた。1961年にはジョージ・マチューナスと出会ってフルクサスに参加した。2006年1月29日、アメリカ・フロリダ州マイアミで死去。
ビデオアートの創始
1963年、ドイツのヴッパータールで個展「音楽の展覧会―エレクトロニック・テレビジョン」を開き、磁石などで映像を歪めたり白黒を反転させたりした13台のテレビ受像機を並べた。これが世界初のビデオアート展とされる。1965年にソニーの携帯型ビデオ機材「ポータパック」を手に入れてからは、ビデオを使ったインスタレーション3やパフォーマンス5を本格的に展開した。
主な作品
- TV Bra for Living Sculpture(1969年)、TV Cello(1971年) — チェリストのシャーロット・モーマンとの共作
- TV Buddha(1974年) — 仏像が閉回路カメラで撮られた自分の姿をテレビで見つめ続ける作品
- The More, the Better(1988年) — 1,003台のモニターを塔状に積み上げた大作
1974年には、将来の通信網を指して「electronic super highway(電子の超高速道路)」という言葉を使い、のちのインターネットを予見したとされる。
受賞
1993年にヴェネツィア・ビエンナーレ2金獅子賞、1998年に京都賞(思想・芸術部門)を受賞した。
要確認
- 日本へ移住した時期と経緯の詳細
- 「electronic super highway」を初めて用いた文献