OGAS
ソビエト連邦で構想された、国民経済の計算・計画・管理のための情報を全国規模で収集・処理する自動化システム。1962年に数学者ヴィクトル・グルシコフが提案した、計画経済そのものをコンピュータ・ネットワークの上で運用しようという計画である。アメリカ21の ARPANET とほぼ同時期に、まったく異なる動機から構想された全国ネットワークだが、最後まで建設されることなく終わった。「ソ連のインターネット」として言及されるのは、たいていこの計画を指す。
構想の内容
グルシコフの案は三層構造だった。モスクワ2に中央計算センターを置き、主要都市に最大200の中間センターを設け、経済的に重要な拠点に最大2万の末端端末を配置する※1。これらを既存の電話回線を使ってリアルタイムで結び、工場や倉庫の生産・在庫の情報を中央に吸い上げ、計画の立案と修正に反映させる、というものである。
背景にあったのは、計画経済の事務処理が人力では破綻するという見通しだった。グルシコフは1962年の時点で、紙ベースの計画手法を続けた場合、1980年までに計画に携わる官僚機構が約40倍に膨れ上がると試算している。さらに彼は、このシステムを電子決済に用いることで貨幣のない経済へ移行することまで構想していた。
頓挫の経緯
計画は実現しなかった。グルシコフは1970年10月1日に政治局へ資金を要請したが、却下されている。要求額は1000億ルーブルを下らないとされ、2016年のドル換算で約8500億ドルに相当するという試算もある※2。
ただし挫折の理由は金額だけではない。経済の実態が中央の端末に筒抜けになるこのシステムは、各省庁や工場の管理者が握っていた裁量と、党による経済統制の両方を脅かすものだった。党上層部の多くがこれに反対し、1970年代初頭には公式の関心が消えた。
評価と文脈
OGAS がよく参照されるのは、ベンヤミン・ピーターズの研究『How Not to Network a Nation: The Uneasy History of the Soviet Internet』(MIT Press、2016年)による。この本は1959年から1989年にかけてのソ連のネットワーク構築の試みを扱い、そのなかで最も長く続き最も野心的だったものとして OGAS を位置づけている。
ピーターズの分析でよく引かれるのが、米ソの対比である。ARPANET は国家の補助金と、研究機関のあいだの協調的な環境のもとで実現した。一方、ソ連のネットワーク計画は、自己利益を追う省庁・機関・官僚どうしの無秩序な競争によって潰れた。計画経済の国で各組織が競争的にふるまい、資本主義の国で研究者たちが協調的にふるまった、という逆転がここにはある。制度の設計が技術の帰趨を決めた事例として語られる所以である。
なお、同時期のチリでも、アジェンデ政権下で経済運営をコンピュータで支援する「サイバーシン計画」が進められており、両者はしばしば並べて論じられる。
要確認
- 1959年にアナトリー・キトフが先行して同種の提案を行っていたとされる件(ピーターズの研究が1959年を起点としていることは確認できたが、キトフの提案の内容と OGAS との関係は確認できていない)
参照
- OGAS - Wikipedia
- Victor Glushkov - Wikipedia
- How Not to Network a Nation: The Uneasy History of the Soviet Internet | MIT Press
- How the Soviets invented the internet and why it didn't work | Aeon
- The Politics of Networking a Nation | Public Books
- OGAS: The Red Bit System | DataArt Museum
- Staging the OGAS, 1962 to 1969: The Uneasy History of the Soviet Internet | ResearchGate