大森荘蔵
日本の哲学者(1921〜1997)。物理学から哲学に転じ、分析哲学・科学哲学の議論を土台に、心と物を分ける物心二元論を批判する「立ち現われ一元論」や、知覚と科学の関係を捉える「重ね描き」、過去を現在において作られるものとする過去論など、独自の哲学を展開した。1970年代から80年代にかけて、廣松渉とともに日本の哲学界で最も大きな影響力を持った一人とされる。
経歴
1921年8月1日、岡山県岡山市生まれ。東京帝国大学理学部物理学科を卒業後、東京大学文学部哲学科に入り直して1949年に卒業し、アメリカ21のオベリン大学にも留学した。東京大学教養学部で助手、講師を経て1966年に教授となり、1976年から1977年まで同学部長を務めた。1982年に定年退官して名誉教授となり、その後は放送大学の教授などを務めた。1997年2月17日死去。
思想
1950年代から60年代末にかけては、バークリー、ヒューム、ウィトゲンシュタインらの議論を踏まえ、分析哲学・科学哲学の論考を多く発表した。
大きな転機となったのが1973年の論文「ことだま論」である。1970年代以降、「立ち現われ」という概念を軸に、知覚する働き、知覚の内容、知覚される対象を区別しない「立ち現われ一元論」を唱え、物心二元論や主観・客観の図式を批判した。
また、日常の知覚風景と科学による描写の関係は、原因と結果の関係でも単なる並行関係でもなく、「重ね描き」であると論じた。後期には時間の問題に取り組み、素朴な実在論を退けて、過去を言語によって制作されるものとして描いた。
主な著作と影響
主な著作に『言語・知覚・世界』(1971年)、『物と心』(1976年)、『新視覚新論』(1982年)、『時間と自我』(1992年)、『時間と存在』(1994年)、『時は流れず』(1996年)がある。1992年に和辻哲郎文化賞を受賞した。
東京大学で野家啓一、藤本隆志、野矢茂樹、中島義道らを育て、野矢茂樹や永井均らがその哲学を批判的に受け継いでいる。
要確認
- 和辻哲郎文化賞の受賞対象となった著作
- アメリカ留学の時期
- 「天地有情」という表現と大森哲学との関係