レイモンド・ローウィ
フランス5生まれのアメリカ21のインダストリアルデザイナー(1893-1986)。複写機から冷蔵庫、機関車、自動車、たばこのパッケージ4、企業ロゴ、宇宙ステーションの内装まで、あらゆるスケール2の工業製品を手がけ、「インダストリアルデザインの父」と呼ばれる。デザインを個人の美的表現ではなく、売上に直結する企業活動として確立した人物でもあり、新しさと受け入れやすさの境界を言い当てた「MAYA原則」の提唱者としても知られる。
経歴
1893年11月5日、パリに生まれた。第一次世界大戦でフランス軍に従軍したのち、1919年にアメリカへ渡る。
転機は1929年だった。謄写版メーカー2の経営者ジークムント・ゲステットナーから、複写機の外装を刷新してほしいと依頼される。この仕事が、インダストリアルデザイナーとしての彼のキャリアの出発点になった。1934年にはシアーズの冷蔵庫「コールドスポット」を手がけ※1、これが販売記録を塗り替えたことで、デザインが商品の売れ行きを左右するという認識が広まっていく。
その後は自らの事務所を率いて膨大な数の製品を手がけ、1986年7月14日にモナコで没した。
手がけたもの
代表作は分野を横断している。1942年のラッキーストライクのパッケージ、シェルやエクソンの企業ロゴ、ペンシルベニア3鉄道の流線型機関車、グレイハウンドのバス、スタデベーカー社の自動車(アヴァンティなど)といった具合である。長年にわたりスタデベーカーと協働したことでも知られる。
晩年にはNASAの仕事もしている。1967年から1973年にかけて宇宙ステーション「スカイラブ」の居住性と内装の設計に関わり、狭い空間で人間が長期間暮らすための条件を検討した。大統領専用機エアフォースワンの塗装デザインも彼の手によるものである。
日本では、たばこ「ピース」のパッケージをデザインしたことで広く知られている。自伝『Never Leave Well Enough Alone』は、彼自身が自分の事務所の仕事を「口紅から機関車まで」と表現したことにちなみ、日本語版では『口紅から機関車まで』の題で刊行された(藤山愛一郎訳、学風書院1953年、のち鹿島出版会1981年)。
MAYA原則
ローウィが残した最も有名な考え方が MAYA(Most Advanced Yet Acceptable)である。「もっとも先進的で、しかし受け入れられるもの」という意味で、消費者が受け入れられる新しさには限界があり、その限界ぎりぎりを狙うのがデザイナーの仕事だ、という主張である。
どれほど優れた新しさであっても、見慣れた形や機能の手がかりを完全に捨ててしまうと、人は拒否反応を示す。だから革新は、認識可能な要素を残したうえで行わなければならない。この原則は、工業製品にとどまらずソフトウェアやサービスのデザインでも引用され続けている。
要確認
- スタデベーカー・アヴァンティの年(1962年と1963年で資料が分かれる)
- たばこ「ピース」のパッケージを手がけた年と、そのデザイン料をめぐる逸話(日本では「150万円」という金額がよく語られるが、確認できなかった)
- 渡米直後にファッション・イラストレーターとして働いていたとされる経歴の詳細
参照
- Raymond Loewy - Wikipedia
- Raymond Loewy | Britannica
- Raymond Loewy, FIDSA | Industrial Designers Society of America
- レイモンド・ローウィ - Wikipedia
- 『口紅から機関車まで──インダストリアル・デザイナーの個人的記録』 | artscape
- Raymond Loewy: How his designs defined the modern era | The Christian Science Monitor
- Remembering the Legacy of Raymond Loewy, Industrial Designer | MotorCities
- Raymond Loewy Collection | The Henry Ford