セキュリティシアター
実際の安全性をほとんど高めないにもかかわらず、「守られている2」という感覚を生むために行われる、目に見えやすい security 対策を指す言葉。暗号研究者ブルース・シュナイアー2が2003年の著書『Beyond Fear』で用いたことで広まった。要点は、対策の価値を「脅威をどれだけ減らしたか」ではなく「安心している人をどれだけ増やしたか」で測ってしまう構造にある。空港の保安検査のように、費用と手間が大きく、可視性が高く、しかし実際の攻撃を止める効果の検証が難しい領域で問題になりやすい。
言葉の広まり
この語が一般に流通したのは2001年9月11日の同時多発テロ以降である。テロ後に次々と導入された新しい保安措置、とくに空港での検査体制に対する批判的な呼び名として定着した。シュナイアー2自身は、対策を実施する当局の側に「何か有効なことをしているように見せる」必要が生じ、効果の有無とは別の動機で措置が選ばれていく点を問題にしている。
評価が難しいのは、この種の対策が失敗を数えにくいことにある。攻撃が起きなかったとき、それが対策の成果なのか、もともと攻撃が来なかったのかを区別できない。結果として「導入後に事件が起きていない」ことが効果の証拠として扱われやすく、やめる判断がきわめて下しにくい。
批判の中身
中心的な批判は、効果のない対策そのものの害よりも、それが奪う資源に向けられている。シュナイアーは2009年のエッセイ3「Beyond Security Theater」で、こうした演出が本来ほかに使えたはずの資源を食いつぶすと論じた。人員・予算・時間は有限なので、可視性の高い措置に配分された分だけ、情報収集や捜査のように効果が見込めるが人目につきにくい活動の取り分が減る。
加えて、対策が利用者に課す負担は確実に発生する一方、攻撃者側の回避は比較的容易であることが多い。検査の対象や手順が公開されていれば、それを外して通る方法も設計できてしまう。空港のボディスキャナーについても、シュナイアーは「誰も捕まえられない」という趣旨の批判を繰り返している。
「演出」が正当化される場合
シュナイアーはこの語の提唱者でありながら、演出に一切価値がないという立場は取っていない。2008年頃には、人々の不安が実際のリスクより大きく膨らんでいる場合、その知覚のずれ自体が解決すべき問題になりうる、という留保を示している。安心を回復させること自体に意味がある状況なら、知覚に働きかける措置は目的に対して有効だという整理になる。
また、見せるだけの対策であっても、周到でない攻撃者や、わずかなリスクも取りたくない相手を遠ざける効果は残る。したがって実務上の争点は「演出か実効か」の二分ではなく、どの程度の資源を知覚の側に割くのが妥当か、そしてそれを実効性の対策と取り違えずに説明できるか、という配分と説明責任の問題になる。
要確認
- 『Beyond Fear』での正確な初出表現と該当箇所。シュナイアーが「造語した(coined)」とする記述は複数の二次資料に見られるが、それ以前の用例の有無を含め、一次資料での確認は取れていない
- 2008年の「新しい見解」として報じられた内容が、本人のどの文章・発言に基づくものかの特定。参照したのは本人サイトが収録した報道記事の見出しレベルの情報で、原文の論旨までは確認できていない
- 「Beyond Security Theater」の掲載媒体は New Internationalist 第427号(2009年11月)とされ、本人のニュースレター CRYPTO-GRAM 2009年11月15日号にも収録されているが、本文の全文は参照できていない
参照
- Beyond Security Theater | CRYPTO-GRAM, November 15, 2009
- Security and Terrorism Expert Bruce Schneier: TSA Scans "Won't Catch Anybody" | Schneier on Security
- Bruce Schneier's New View on Security Theater | Schneier on Security
- Security theater - Wikipedia
- Beyond Fear: Thinking Sensibly About Security in an Uncertain World - Wikipedia
- What is security theater? | TechTarget