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グーテンベルク

ヨハネス・グーテンベルク / Johannes Gutenberg / Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg / ヨハネス・ゲンスフライシュ
2026-10-07 add 1,377字 person

ドイツの技術者(1394–1406年頃生まれ、1468年2月3日没)。ヨーロッパ5における活版印刷術の実用化に成功した人物として知られる。金属製の可動活字、油性インク、ブドウ搾り機を応用した印刷機を組み合わせ、書物の大量複製を可能にした。この技術はルネサンスや宗教改革における知識の伝播を加速させ、近代ヨーロッパ文化の形成に決定的な影響を与えたとされる。

生い立ちと金細工師時代

本名はヨハネス・ゲンスフライシュ。グーテンベルクは母方の姓による通称である。マインツの上流市民階級の家に生まれた。正確な生年は不明で、1420年に成人に達していたことを示す文書から逆算して1394年から1406年の間と推定されており、便宜上1400年頃とされることが多い。

もともと金細工師として修業しており、金属加工の技術的基盤はここで培われた。1428年頃、マインツで手工業者と貴族層の対立が起き、グーテンベルクの一族は市外に追われた。以後、シュトラースブルク(現ストラスブール)に移り住み、1430年代後半から印刷術の実験に着手したとみられている。

活版印刷術の完成

グーテンベルクの技術的な貢献は、個々の要素の発明というより、それらを実用的なシステムとして統合した点にある。具体的には、文字の原型(パトリス)を鋼に彫り、銅の母型(マトリス)を打刻し、そこに鉛・錫・アンチモンの合金を流し込んで活字を鋳造するという一連の工程を確立した。この合金は融点が低く冷却後の硬度が高いため、同一の活字を大量かつ均質に作ることができた。さらに、金属活字に定着する油性インクと、ワイン用の圧搾機を改造した印刷機を組み合わせた。

1450年頃にマインツへ戻り、事業家ヨハン・フストから資金提供を受けて本格的な印刷事業を開始した。この協力関係のもとで完成したのが「四十二行聖書」(通称グーテンベルク聖書)である。1455年頃に印刷が完了したとされ、各ページが42行で組まれていることからこの名がある。ヨーロッパで活版印刷によって制作された最初の主要な書物であり、現存する約49部※1は世界各地の図書館・美術館に所蔵されている。

フストとの訴訟と晩年

しかしフストとの関係は破綻した。1455年頃、フストはグーテンベルクを相手に出資金の返済を求める訴訟を起こし、勝訴した。グーテンベルクは印刷設備一式をフストに引き渡すことになり、以後フストとその義理の息子ペーター・シェッファーが印刷事業を引き継いだ。

グーテンベルクはその後も小規模な印刷活動を続けたと考えられているが、詳細な記録は乏しい。1462年、マインツ大司教の座をめぐる武力衝突で市が荒廃し、グーテンベルクも被害を受けた。晩年にはマインツ大司教アドルフ・フォン・ナッサウから宮廷職人の称号と年金を与えられ、1468年2月3日にマインツで没した※2。

影響

活版印刷の普及は急速だった。グーテンベルクの死後わずか数十年で、ヨーロッパ各地に印刷所が設けられ、15世紀末までに推定2000万部以上の印刷物が世に出たとされる※3。書物の価格が下がり、識字層が拡大し、マルティン・ルターの宗教改革文書が広く流通したのも印刷技術あってのことだった。グーテンベルクの活版印刷は火薬・羅針盤とともにルネサンス期の三大発明に数えられる。

参照

言及
なし
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