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ギリシア火薬

ギリシア火 / ギリシアの火 / ギリシャ火 / Greek fire
2026-10-07 add 1,257字

東ローマ(ビザンツ)帝国が7世紀から用いた焼夷兵器。加圧した管から燃える液体を噴射するもので、水をかけても消えにくく、海戦で敵艦隊を焼き払う決定的な威力を発揮した。製法は国家機密として厳重に管理され、帝国の滅亡とともに失われて、今日まで再現に成功していない。名前に「火薬」とあるが黒色火薬とは別物で、石油系の混合物だったとする見方が有力である。

使われ方

発明者はヘリオポリスのカリニコスとされ、コンスタンティノス4世(在位668-685年)の治世に、アラブ勢力の征服から逃れて帝都にもたらしたと伝えられる。ただし歴史家テオファネスの記録には、カリニコス以前の671年から672年にすでに噴射装置を備えた軍船があったとあり、彼は既存の兵器を改良しただけだった可能性も指摘されている。

発射装置は「サイフォン」と呼ばれる青銅製の管で、ドロモンと呼ばれる大型軍船に搭載された。粘土の壺に詰めて投げる使い方もあったとされる。アラブ艦隊によるコンスタンティノープル攻撃で用いられて大打撃を与え、以後もレオ3世が717年のアラブ軍の攻撃に、10世紀にはロマノス1世がルーシの艦隊に対して用いたとされる。帝都が何度も包囲されながら持ちこたえた要因のひとつに数えられている。

成分をめぐる謎

最大の謎は中身である。石油系の混合物だったことは確からしいとされるが、具体的な配合は分かっていない。硫黄、生石灰、液体石油といった推測や、松脂・ナフサ・硫黄・硝石の組み合わせを挙げる説などがあり、いずれも推測の域を出ていない。

点火の仕組みも確定していない。噴出口で炎にかざして着火したのか、水に触れると自然発火する組成だったのかで説が分かれる。確かなのは、水をかけても消えにくかったという記録が繰り返し現れることである。

製法が解明されない理由は、そもそも当時から厳重に秘匿されていたことにある。コンスタンティノス7世は、外国人に製法を探られないよう後継者に警告したことで知られる。生産と運用に関わる者を限り、記録にも残さなかったため、帝国が衰えるとともに技術そのものが失われた。

「火薬」という呼び名について

日本語では「ギリシア火薬」のほか「ギリシア火」「ギリシアの火」とも表記される。ただし黒色火薬のように爆発によって推進力や破壊力を得るものではなく、燃える液体を噴射する装置という意味では火炎放射器やナパーム弾の系譜に近い。成分がナフサ主体なら焼夷兵器、硫黄や硝石を含むなら火薬の仲間、と分類が変わりうる点が、この呼び名の揺れの背景にある。現在有力なのは石油系とする説である。

要確認

  • 初めて実戦で使われた年(673年とする記述、674-678年の包囲中とする説、678年とする日本語資料があり食い違う)
  • カリニコスの出自(シリア系ギリシア人とするもの、ユダヤ系のギリシア語話者とするものなど資料により異なる)
  • カリニコスが発明者なのか、既存兵器の改良者なのか
  • 成分と点火の仕組み(いずれも推測にとどまり、再現に成功した例がない)

参照

言及
なし
類似